スプリンタートレノ(AE86)

スプリンタートレノ(AE86)の歴史

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トヨタが販売していた小型のスポーツカーである、
スプリンタートレノ。

現在、低燃費車ブーム、ファミリーカーブームの中でなぜ、
これほどまでの人気があるのか。
『名車スプリンタートレノ』の歴史を振り返ってみたい。

1983年〜1987年の間にトヨタよりスプリンタートレノが販売された。
スプリンタートレノは、後輪駆動のスポーツクーペとして世に送りだされた。
しかし、発売中の人気はそれほどでもなかった。

1983年〜1984年に生産されたスプリンタートレノを「前期型」
1985年〜1986年に生産されたスプリンタートレノを「中期型」
1986年〜1984年に生産されたスプリンタートレノを「後期型」
と一般に呼んでいる。
前期型は、まさに発売第一号の車である。
中期型は、外観が後期、構造は前期というものである。
後期型は、外観、構造ともに変更され強化されたものである。

1983年、世の中では、NHKドラマ『おしん』が放送開始、任天堂がファミコンを発売、
西城秀樹が新曲「ギャランドゥ」を発表、この年にトヨタから、スプリンタートレノ(前期型)が発売された。
名車の歴史は、この年から始まった。のだが、スプリンタートレノは、それほど珍しいものではない後輪駆動のスポーツカーとして世に送りだされ、当時は人気もそれほどではなかった。
下の2枚の写真は、前期型のフロント部分とリヤ部分である。
 

翌年1984年、富士フレッシュマンレースで、レーシングドライバー土屋圭市がADVANトレノに搭乗し、“ドリフト走行”という特殊なドライブ方法で開幕6連勝を果たした。
このレースでスプリンタートレノは、一部のレースファンの注目をあびた。

1985年、スプリンタートレノはマイナーチェンジし、スプリンタートレノ(中期型)が
発売された。
テールランプ、フロントウィンカーの変更、ドアミラーの変更、フロントガラスの変更を行い外観が変化した。
しかし、ドライブシャフトが前期型と同じ点などから外観は前期型、構造は後期型となり、中期型という特殊な称号が付いた。
下の2枚の写真は、中期型のフロント部分とリヤ部分である。
  

1986年、最終型となる、スプリンタートレノ(後期型)が発売された。
中期型の変更点に加え、ドライブシャフトの径変更などが行われ、さらに走りに特化した構造となった。
下の2枚の写真は、後期型のフロント部分とリヤ部分である。
 

1987年に販売終了となる。
その後は、他の車と同じく、販売終了した中古車として店頭に並んだ。
スプリンタートレノの歴史は閉じたかのように思えた。

1988〜1994年にかけて、『走り屋』と呼ばれる人達の中で、スプリンタートレノを含め、FR(後輪駆動の自動車)人気が大きくなっていった。

1995年、主人公がスプリンタートレノに搭乗し、
レースをしていくマンガ、『イニシャルD』連載開始。
これを期に、スプリンタートレノ人気が一気に加速し、一般の人々にも知れ渡る。
その後、『ドリフト』『D-1』などの言葉が流行し、
スプリンタートレノはその代表的存在となった。


現代では、さまざまなスプリンタートレノ(AE86)が存在している。
下の写真は、ガルウィング仕様のスプリンタートレノである。